第一章 今こそ求められるアグリプロジェクトマネジメント
<<前節 1.1. なぜ、新規参入者がうまくいかないのか
私が農業を始めるかどうかを検討している際、静岡県の支援プログラムなどを利用して、県内の優良な農家を回って見学させてもらった事がある。また、大勢で見学するだけではなく、見学後に別途連絡させて頂き、個別に訪問し、直接詳しい話しを聞かせて頂いた事もある。幾人かの優良な農家の話を聞かせて頂いているうちに、以下2つの重要な共通点がある事に気がついた。
【共通点1】農作業日記を書いている
【共通点2】段取りが頭にしっかり入っている
共通点1については、実に単純な事で、当然の事のように思うかも知れないが、そもそも全く書かない人もいるし、書いていても簡易過ぎて意味が無かったり、折角書いたとしても、その日記を見直していない場合もある。一般企業でも従業員に日報を書かせている企業もあるが、日報というのは上司への報告という意味だけはなく、自分自身で仕事の整理をするのに非常に有効な手法である。周りを見渡した時に、毎年、同じようなミスを繰り返している農家も確かにいて、反省点だけでも日記に書いていれば、失敗は減らせるだろうと思う。
また、共通点2についても、この圃場では、いつ植えて、肥料はどのぐらいで、過去にどういう事が起きたという事をしっかり覚えているし、年間の作業スケジュールを聞けば、何も見なくてもスラスラと教えて頂ける。どんなに優秀なベテラン農家でも、露地栽培の場合、失敗が起きる事は避けられないが、翌年には対策を立て、しっかりと修正してくる。
もちろん、毎年、気候などの栽培環境は異なるので、有効なデータ量を積み上げるまでにかなりの年数を必要とするが、日々の作業日記を書く事で、頭の中が整理され、天気予報を見ながら、少なくとも2−3日先程度の段取りを行うには有効である。また、環境的な問題ではなく、個人の単純なミスなどについては、過去の失敗を記録し、見直して改善する事で、作業効率を良くしていく事も出来る。このように日記はデータ量が少なくても活用出来る部分はあり、データ量が多くなればなるほど、類似パターンに落とし込める可能性が高まるので、段取りの精度を上げていく事が出来る。
農業に段取り八分ということわざがあるように、農作業における事前の準備作業の重要性を認識している農家は多いと思う。それならば、わざわざアグリプロジェクトマネジメントと言わず、最初から段取りとすればいいようなものだが、段取りとしてしまった場合、各農家固有の手法になっている事が多く、定義や範疇も曖昧である。人によっては、翌日の作業の準備だけの事だけを段取りとする事もあれば、冬の作業の為に、夏に下準備をしておく事、あるいは、作付計画までを段取りとしているかも知れない。このように段取りは農家によって認識が様々であるが、アグリプロジェクトマネジメントでは、農家の生産性を向上させていく為に、マネジメント手法を共通化、体系化して分かりやすくし、加えて、IT化していく事で低コストで簡便に導入出来るようにしていこうというものだ。
IT業界のソフトウェア開発において、案件の大小はあるものの、プロジェクトマネジメントはプロジェクトを成功させる為に必要不可欠なもので、日程表の作成、進捗確認、リソース管理、課題管理など、一連の総合的なマネジメント体系である。確かに、農業では馴染みの薄い言葉なので、抵抗感がある人も少なからず居るだろうが、最近では、私のようにITの世界から農業へ転身される方も珍しくなくなってきており、IT業界で使われるマネジメント技術が農業の現場でも有効で、応用出来る場合が多いことが一つの背景になっていると思う。
もちろん、一口に農業と言っても、図0-1で示したように、基礎的な分類でも様々な形態があり、それぞれの栽培方法、必要な技術などがあり、画一的な手法は難しく、ある程度、固有の条件に合わせたマネジメント手法が必要になる。施設園芸とは、ハウス栽培や、さらに進んだ完全閉鎖型野菜工場などは栽培環境をコントロールしていく事を目指すタイプの農業であるし、対する露地園芸とは自然の力をうまく利用して、環境変化に対応しながら、栽培をしていくタイプの農業である。
近年、企業の参入が多い野菜向上では、水分状況や肥料状況など各種栽培データを取得しながら、作物にとって最適な環境を作っていく事を目指しており、流行のIoT/ICTを導入する事で、生産効率を飛躍的に上げられる可能性がある。施設型農業生産は工業生産の形に合わせていく事を目指しており、この場合のプロジェクトマネジメントは、環境を制御し、最適化する事が目標となる。露地型のように天候などによる作業工程への影響は少なくなるが、日々、農家の目となるセンサーによりデータを収集、分析し、逐次対応を行っていく管理が必要である。
一方、当農園がやっているような露地農業では環境に合わせて栽培管理を行っている。気候変動が激しい昨今においては、日々めまぐるしく変わっていく栽培環境の変化を観察し、時には予測しながら対応していく必要がある。一つの圃場の中でも環境は異なる為、詳細なデータ収集というのはなかなか難しく、施設型と比べると、農家個人の力量によって大きく左右される部分が多く、作業工程は過去の経験と勘から導き出されていく。
従って、露地農業においては、経験の蓄積が必要になるので、まずは、作物を良く観察し、栽培の記録をしっかりつけて、圃場の特質やどういった外的要因が作物の出来に影響を与えるのかというデータベースを作っていく事が重要となる。次に、ただ単に経験しただけでは意味がないので、その経験というデータベースを有効に活用していかなくてはならない。農業のことわざに、「上農は草を見ずに草を取る」というのがあって、直接的には除草をなるべく早い段階で行う事、より本質的には、仕事に追われず、仕事を追っていく事が大事だと説いていることわざだ。
このことわざの通り、「予察力」の高いベテラン優良農家は、基本的な栽培技術がしっかりしてるだけではなく、様々な環境変化に対する引き出しが非常に多く、早い段階で手を打つ技術があり、結果として、収穫の段階で優良な成績を出してくる。周りから見ると実に簡単に対応しているように見えるが、これは、過去の経験が豊富な事に加え、その経験を有効な知に変えているからこそ、省力でありながらも、効果的な作業を行えているという事だ。
このように環境が変化していく露地型農業においても、日記による栽培データの蓄積、ナレッジ化による段取りは有効な方法であるが、日記と段取りには一つの課題がある。一般的な農家の日記は紙に書かれたものであり、数十年分という膨大な期間において蓄積された農作業日記は、もはや、秘伝の書となっており、その作者個人だけの固有の資産となっている。子孫含め、他者が過去の作業を参考にしようと思っても、読み返すのも大変である。また、段取りはメモ程度に書くことはあっても、大部分は頭の中だけのものになっている事が多く、家族でさえ共有する機会が少ない「秘匿知」となっている。
アグリプロジェクトマネジメントでは、秘匿知となっている「農作業日記」と「段取り」をITというツールを使って、「ナレッジベース(農作業日記)」と「アグリプロジェクトマネジメント(段取り)」で形式知に変えていき、露地農業の生産性を革新していく事が出来ると考えている。