若者よ、海外へ行きたければ迷わずに行け!(下)

前回からの続き
 さて、語学や仕事のスキルなどと比較して、海外に出てしまってからは習得が困難なものとして「日本人としての教養」、或いは、「アイデンティティ」がある。皮肉な事に、海外在住期間が長くなればなるほど必要になる一方で、国内に居る時にはその重要性が見えないものだ。海外に住んだとしても日本人は日本人である。周りの目も日本人としてみる。イチローや松井秀喜だけが日本を伝えているのではなく、その国の人々にとって、観光客まで含めた日本人一人一人に日本というイメージを投影している。


 高いモラル、教養を持った日本人に触れ合えば、日本という国家、その他の日本人もそのように捉えてもらえる。その逆もしかりだ。特に愛国論者ではないが、その国の人々に日本人に出会えてよかったと思ってもらいたいし、日本という国を好意的に見てもらえるように努力したい。
 ここで敢えて、国際人というのを定義するならば、自国の高い教養を身につけ、それを諸外国において、外国の言葉で正確にしっかりと表現出来る人だと定義したい。対立をせず、相手の国家に溶け込む事が国際人だと思っている方もいると思うが、それでは相手は認めてくれない。相手の文化・国を尊重しているからこそ、日本人として主張する事、姿勢を貫いていくべきだ。
 日本人が日本で働く事と比較して、海外で働く事は困難が多い。それでも、ここ数年、筆者が住む上海には止め処もなく日本人が流入しており、上海在住の日本人人口増加は著しいものがある。日本人に限らず、年間40万人を超す人口増加を続けている上海には何かしらの引力があるのだろう。求めるものはそれぞれにある。それぞれに夢や希望を持っているのかも知れないし、日本という国家から離れて自力で生活していく事を選択しているのかも知れない。
 海外に出るという事は国家の庇護から多少離れる事を意味する。もちろん、海外で、邦人に何かあれば、外務省が国家予算を使って対処する事は忘れてはいけない。世界各国に日本大使館、領事館はあって常に支援してくれている事も感謝すべき事実だ。しかし、それでも、日本に居るよりは自力で頑張る事が必要になる。その分、自分の力が試されるのだ。
いつどこで、何が起こるか全く分からない世の中だ。筆者は何かに縛られて、または、頼って生きていく事は面倒だと思っている。国家から離れ、海外で生きていくというのはカッコイイと思っている。
 自分を信じてカッコよく生きていく為には相応の努力と犠牲が必要になってくる。それだけに、安定を求めて生きていくのもいいと思うし、否定出来るものではない。しかし、安定とは何だろうか。企業は企業規模によらず、企業の都合でリストラを行う。国家は国家の都合で公務員を民営企業にする。22歳で大学を卒業するとすれば、60歳までに38年間という長い年月を仕事に費やす。環境は必ず変わる。内側に居ても全体像は見えない。目先に踊らされず、本質を見ながら、環境の変化に耐え得る人間となる為にも、一度、外に出て、視野を広げてみるべきだろう。

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